別宮と申しますのは (月讀宮以下四別宮の参拝のしおりから)
本宮との間柄を示す御称号でありまして、皇大神宮、豊受大神宮を「本宮」とするのに対し、あたかも本家に対する分家の意味で、
別宮と称するものであります。
別宮の「宮」は宮号(きゅうごう)と称し、天皇の思い召しにより、古くは勅書(ちょくしょ)をもって、のちに官符をもって定められたものであります。これを「宮号宣下」(きゅうごうせんげ)と申します。
神社に御称号をたてまつることは御祭神の御神威の輝きによります。これを敬うこといよいよあつければ、神の御稜威(みいつ)も一層輝きをますものであります。
月讀宮以下四所のみやしろは、第五十代桓武天皇延暦二十三年(804)に、神宮から上進した「大神宮儀式帳」には、「月讀宮一院、正殿四区」と記され、一囲いの瑞垣(みずがき)内にまつられておりました。
すなわち、四宮あわせて月讀宮とよばれました。伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮に宮号が宣下されましたのは、第五十六代清和天皇貞観九年(867)八月のことであります。
第六十代醍醐天皇延長五年(927)に、有名な「延喜式」が上奏されました。これによりますと、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮が瑞垣をめぐらした一院をなし、月讀宮、月讀荒御魂宮が一院を形成しておりました。
現在、拝するように、四宮それぞれが瑞垣をめぐらしたお姿になったのは、明治六年からであります。
続日本紀(しょくにほんぎ)巻三十二に、「光仁天皇宝亀三年(772)八月の条には月讀神の御神威をかしこみ、その年の九月の神嘗祭から毎年の神嘗祭には内宮の荒祭宮に准じて、神馬を奉ることになった」と、あるのをはじめとして、朝廷の御尊崇の事実は、枚挙にいとまありません。
延喜大神宮式に、この四所の別宮に対し、幣帛(へいはく)を「祈年、月次(六月、十二月)、神嘗の御祭に供えよ」と、あるのをはじめとして今日においても、年中恒例および臨時のお祭は、正宮についで鄭重に奉仕されております。 |
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恒例のお祭 |
当宮は、正宮に準じて、鄭重にお祭が奉仕され、祈年祭(二月)、
月次祭(六月、十二月)、神嘗祭(十月)、新嘗祭(十一月)の諸祭には、皇室からの幣帛がたてまつられます。 |
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1月1日 |
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歳旦祭
(さいたんさい) |
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1月3日 |
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元始祭
(げんしさい) |
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2月11日 |
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建国記念祭
(けんこくきねんさい) |
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2月18日 |
午前8時 大御饌
午前10時 奉幣 |
祈念祭
(きねんさい) |
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5月14日 |
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風日祈祭
(かざひのみさい) |
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6月18日
19日 |
午後10時 由貴夕大御饌
午前2時 由貴朝大御饌
午前10時 奉幣 |
月次祭
(つきなみさい) |
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8月4日 |
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風日祈祭
(かざひのみさい) |
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10月18日
19日 |
午後10時 由貴夕大御饌
午前2時 由貴朝大御饌
午前10時 奉幣 |
神嘗祭
(かんなめさい) |
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11月24日 |
午前8時 大御饌
午前10時 奉幣 |
新嘗祭
(にいなめさい) |
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12月18日
19日 |
午前10時 奉幣
午前2時 由貴朝大御饌
午前10時 奉幣 |
月次祭
(つきなみさい) |
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12月23日 |
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天長祭
(てんちょうさい) |
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皇大神宮別宮 月讀宮
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式年遷宮 |
二十年毎の式年遷宮も、内宮とご同様に奉仕され、その日時は天皇陛下のお取り定めを仰いで、決められるならわしであります。
この度の式年遷宮は、平成六年十月に行われました。
御社殿は南に面し、その構造は、内宮に準じ、神明造りで、お屋根は萱葺(かやぶき)、鰹木は六本、東西両端には、内宮と同じく内削ぎ(水平切)の千木が高くそびえ、周囲には瑞垣をめぐらし、瑞垣御門と鳥居があります。
遷宮のための御敷地は、内宮、外宮および諸別宮とも、東西にならんでおりますが、当宮に限り、地勢の関係から、南北に設けられております。
宿衛屋では、御神楽(みかぐら)、
御饌(みけ)の取り次ぎ、
また大麻(おふだ)・守祓(おまもり)の授与、参拝証印の押捺等をお取り扱いしております。
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月讀尊の名前の由来 |
日本書紀では、月讀尊はその光彩(ひかりうるわしいこと)が、
天照大御神に亜(つ)ぐものであるとたたえております。
天照大御神の御神徳は、「その光華明彩(ひかりうるわしいこと〕、六合(あめつち)の内に照り徹るほどでございます」と、太陽にたとえて表わされておりますので、
月讀尊の御威徳は、それにつぐものとして、月になぞらえて、おたたえしたものと拝されます。
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